コミュ障主婦の孤独な会社生活と片思いの記録

コミュ障主婦のメンヘラかまってちゃんな日々の記録

パート先で片思いしていた上司への想いを断ち切りながらメンヘラな心の闇との戦いを繰り広げているコミュ障主婦の日々の出来事をただただ吐き出すだけの、ストレス発散ブログです

反論だらけ

我が子のことを前回記事にしました

komyushou-shuhu.hatenadiary.jp

その件で義妹と話しましたが、もともと彼女は我が子を「普通」だと思っていて、こういうところがあるから気になるという話をしてもすぐ反論してきて、我が子が「普通」であることを強調したがります

今回だと、担任の先生に
「新しい環境に適応しにくい」と言われた話をすれば
「でもあの先生、決めつけで話したりするからけっこう保護者から嫌われてるよ?」
と先生を否定することで、だからあの先生の言うことを真に受ける必要はないことを強調

スポーツ系の授業に参加しなかったことも
「練習では張り切っててもいざ本番になったら全然出来ない子なんてたくさんいるよ?」

黒Tシャツの話をしても
「友だちの子はピタッとした服は絶対に着ないよ?同じじゃない?」

挙げ句の果てには、周りにいる、7,8才になってもまだ喋れない子がいてその子の親はいつかは喋るようになるんだからと気にしてない その子は気にしてあげるべきだと思うけど、という、極端な例をあげてくる

でも発達障害っていかにも一目でわかるような重度の子だけじゃないですよね

逆に、そのくらい重度の子だと、むしろ早めの対策が出来やすいし周りへの理解も得やすいと思うわけです
一目で「普通には見えない」んですから

でも一見「普通」に見えるけど実は障害を抱えてる、診断はつかないけどグレーゾーンでそういう傾向が見受けられる、そういう子の方が結局は、義妹のように「普通」という物さしで見てくる分、大人になるにつれてどんどん本人は息苦しくなっていくものだと私個人は思うわけです

「普通」なのにどうして出来ないの?
「普通」なのにどうしてわがまま言うの?

そんな風に、幼いうちはこだわりやわがままが小さいからという理由で許されていることも、大きくなると許されなくなってくる

そのときに本人自体も
「普通」なのになぜ自分は出来ないんだろう
と悩んだり自己嫌悪に陥ったりするようになる

それを回避したいんです

まだ「普通」なのか「障害」があるのかはっきりとわかりません

ただ、もしたとえ診断がつかなくても、そういう傾向がある、とあらかじめわかっているのといないのとでは自分の気持ちや心構えも違ってきますよね?
周りからの理解はどのみち得られなくても、「自分」の気持ちの落としどころは見つけられるんじゃないか

私が狙ってるのはそこなんですけどね……

別に誰も好き好んで我が子を障害者扱いしたいわけじゃありません、私だって

でも今日も義実家から持って帰ってきた靴下を履かせたら車の中で急に「サイズが小さい」とぐずり始めて、今さらこんなところで文句を言われてもいったん外に出てしまった以上どうにも出来ないし……
またしばらく園の駐車場でめちゃくちゃ揉めました💨

実際、こうやってどんどん扱いづらくなってるわけです
もちろん、「普通」の範疇なのを私がカリカリしすぎてるだけかもしれませんけど、これをもし中学生や高校生になっても同じこだわりが続いたとしてもやはり義妹的には「少し人より神経質なだけ」って言うのかな?

それで本人も苦しくないんならいいです

でも私の子だから「自分ってなんでこんななんだろう」ってそのうち悩む日が来るんじゃないかって思うから、色々と探ってるんです

それで本当に「普通」ならそれはそれでいい

単に、将来のために今、十分納得したいだけです