コミュ障主婦の孤独な会社生活と片思いの記録

コミュ障主婦のメンヘラかまってちゃんな日々の記録

パート先で片思いしていた上司への想いを断ち切りながらメンヘラな心の闇との戦いを繰り広げているコミュ障主婦の日々の出来事をただただ吐き出すだけの、ストレス発散ブログです

特性とわがままはどう区別するんだろう?

市との面談の結果、我が子は
特別支援学級が相当である」
という判断を下されました
もちろん、最終的には親の判断です
学校との話し合いが行われ、普通クラスがよいと言っていた夫はどうするのだろうと思っていましたが、意外とすぐに納得し、特別支援学級が確定となりそうです

けれどここへ来て何となく私の中でくすぶる気持ちがあるのです

その判断が下された最大の要因は、私があらかじめ医師の診断を受けていたせいなのではないか
私も夫も担任も我が子にたいしてそこまで変なことは言わなかったし、我が子の態度もそこまで支援学級を指定されるほどの態度を取っていただろうか?

そんな風に思い始めてしまうと、結局は私が発達障害の診断を取ってしまったせいで我が子への評価が偏ってしまったのではないか

ついついそんな風に考えてしまう気持ちが止まらなくなるわけです

その後、保育参観に出席した際も、保育園で頑張ってることと目標を発表するという課題が課されていたようなのですが、他の子たちが次々と発表する中、我が子は頑張ってることのみを発表し、目標は言いませんでした

我が子自体が目標がないと言ったのだと思いますし、その状態で発表してもいいと担任が判断したのは配慮なのだと思うのですが、これは甘やかしとは違うものなんでしょうか

我が子への配慮が、我が子のわがままを増長させてやしないのだろうか?
本当にそういう配慮がないと我が子は他の子と同じように出来る力が全くないのだろうか?

そういうことを思ってしまうのです

入園前から療育を受けてる関係で、我が子は最初から配慮してもらえる環境にいました
なので、配慮のない状態を一切経験していません

夫の、最初は普通クラスにしたいという希望を不安ながらも受け入れようと思ったのは、配慮のない状態で我が子がどこまで出来るのか見てみたいという気持ちも少なからずあったからです

けれど結局、支援学級という、配慮を当然のようにしてもらえる環境下で最初から過ごすことになりそう……

それがいいことなのか、我が子の出来る力を奪う結果にはなっていないのか、自分の中で急にわからなくなってきました

我が子は頑ななところがあってそれは「特性」ってやつなのかもしれません
でもただの「わがまま」かもしれない
その基準はどこにあるんでしょう?
だって発達障害の診断はDr.ではなくて私が最終的に下してもらったんです
私が診断を下してもらわなかったら、我が子は発達障害でもなく、「特性」はただの「わがまま」と同義になるのではないでしょうか?

確かに幼い頃、我が子に対して他の子と違う感じを受けていて、だからこそ早くから療育も受けました
けれど、今ではもうわからない

もちろん、おそらくグレーゾーンだからこそDr.だって発達障害の診断を下したのだとは思います
発達に偏りがないなら、さすがにそう言ってくれるはず……
療育だって本当に発達になんの問題もなければいつまでも受けられないはず……

だけどやっぱり何だかモヤモヤしてしまう気持ちがある

「配慮」と「甘やかし」
「特性」と「わがまま」

逆に私はなぜそこにこんなにも引っかかってしまうのだろう
配慮してもらえるならいいことなんじゃないのだろうか
でも真綿で首を絞められるように、一見優しくされてる状況のために実は首を絞められてることに気づいてないだけなのだとしたら……?

それが怖いのかもしれない
本当に我が子のためになってるのかどうかがわからないから……
我が子のためになってると思い込んでたのに実は我が子にとって害になる道を歩ませてるだけなのかもしれない……

今さら怖じ気づいたところで仕方ないことなんですけどね