コミュ障主婦の孤独な会社生活と片思いの記録

コミュ障主婦のメンヘラかまってちゃんな日々の記録

上司への片想いにけりをつけ趣味のカラオケやら問題児の我が子のことなどをとりとめもなく綴る、ただのストレス発散ブログです

1人で悩むとぐるぐるしてしまう

いつも、そんなに自分が悪かったのかな、とウジウジ悩んでしまうけど、人に話すと、え、そんなことでそこまで言われるの?とか驚かれて、ハッとしたりする。

小さい頃から、何かイヤなことがあるとそれは自分のせいだと思え、と母に言われて育ってきた。
誰かにいじめられても
「あなたが悪いからいじめられるんじゃないの?」と言われた。
見合いで断られると
「あなたが嫌な態度を取ったんでしょ?」と言われた。
必死に頑張ったはずの科目の通知表で悪い成績をつけられて自分が1番凹んでるのに
「授業態度が悪かったんだろう」とひどく責められた。
どんなに自分では理不尽なことをされたと思ってそれを報告しても、どんなに自分に有利になるような言い方をしても、絶対に相手が悪いと共感してくれることはなかった。

私が悪い。

全てにおいてそう言われて育ってきた。

だからどんなにひどいことをされてると思っても、理不尽ではないかと感じても、心のどこかで、それでも私が悪かったからなのかもしれない、と考える癖がついた。

鬱々とする。

ボボさんは母にも似ている。
私を否定してきた歴代のひどい人間たちに全て似ている。

そこまで私は傷つけられなければいけないことをしたんだろうか。
彼らと話すと、そうだと肯定される。
あなたが悪いんだよ?
だからひどいことをされても仕方ないんだよ?
そう結論づけられる。

でも本当にそうなんだろうか。

今回のことだって、同じことをパフェさんがしたとしたらボボさんはそこまで攻撃的な言葉でパフェさんを責めただろうか。

私はそこまで悪いことをしたんだろうか?

私が絶望して誰かの手を必死で探して伸ばしていたときその手を掴んでくれたのは夫だった。

夫は決して母が言ってくれない言葉を力強く言ってくれた。

それは向こうが悪いよね。

たった一言で救われることがある。
たった一言で打ちのめされることもある。
言葉は凶器にも魔法にもどちらにもなり得る。

私は母から精神的に距離を取った。
私を打ちのめしてくる全ての人間から距離を置いた。

なのにここへ来てまた同じタイプの人間が私を打ちのめしに来る。
私は自分から近づいて自分から傷つきに行ってる。

多分認められたいのだ。

ずっとわかってほしいと思ってた。
いつかわかってくれるんじゃないかと期待してた。
決してあり得ないのに。
どんなに頑張ってもわかり合えることなんて起こりえないのに。

きっと今もボボさんに私は無意識に期待してる。
そのうちわかり合える日が来るんじゃないか。

だからどんなに傷ついてもどんなにひどいことを言われても起き上がりこぼしのようにめげないで立ち上がり続ける。

相手に近づいてはまた傷つく。
どんなに苦しくても泣き腫らしても、
いつか、いつか、
そんな日を夢見てる。

そんな日はやってこない。

私が悪いんじゃない。
ボボさんが悪いわけでもない。
単に2人は合わない。
どう頑張ってもわかり合えない。
努力だけで補えないことも世の中にはある。

本当は気づいてる。
わかってる。
でも見ないふりをしてる。

いい加減目を覚まそう。

大丈夫。
私は悪くない。
悪くない。
だからもう努力なんてしなくていい。
わかってもらおうとしなくていい。
いつか、なんて考えなくていい。
私が悪いわけじゃない。

だからもう自分を傷つける人に拘るのはそろそろやめにしよう。